ここから見る風景(写真)には特別な感慨が沸いた。
僕がお世話になっているカメラ機材メーカーが、この界隈に林立するビル群にあるからだ。もう50年もカメラを握っているが、初めて手にしたのはフイルム、すべてマニュアル設定、シングルシャッターの機材だった。数年後に、ボディにモータードライブを装着すると秒間5コマほど切れる時代が到来し、これはすごいと思った。でも、高価だった。
デジタル時代がはじまり、20年前、初めて買ったデジタル一眼は約600万画素。デジタル写真は使いモノになるか、との議論で盛り上がっていたときだ。それがいま、5010万画素で秒間30コマが撮れ、鳥の目に自動でピントを合わせて追従し、4K・8Kの動画まで撮れる小型・軽量カメラの時代となった。こうした50年間の技術革新は、この界隈にある数社が競い合って生み出してきたともいえる。僕の仕事は、そうした流れのなか生まれた機材の恩恵を受けてきたのだ。
羽田から飛び立った飛行機がビルの上を横切ってゆく。そのとき新幹線が流れるように通過していった。2本、3本と山手線、京浜東北線などの電車が同時に行き交う。ここは蜘蛛の巣のように張られた交通網の中心点でもある。地球のどこへでも効率よく行くことができる場所だ。僕はというと、この国のなかでもっとも端の離島に住んでいる。この国の中心であるこの地と遠方とのつながりは、デジタルの進歩もあって距離感がどんどん縮まっているように思う。東京には年に何度も来ていたが、いまはほぼ来なくてもこことつながって仕事ができるようになった。それはいいことなのだろうか。
見たことがないほど人が減った駅や、休日と見間違えるほど閑散としたビルのロビーを見たとき、コロナが終わったあと人の流れがどうなるのか考えた。戻ってくるのか、それとも元には戻らないのか。地震や異常気象がこの国を頻繁に直撃する昨今、ここが大丈夫だという保証はないことを不安に思う。首都機能分散の議論はどこへいったのだろうか。様々な思いが頭を巡ったあと、一極集中の脆弱さを見ることがないようにと心から祈った。
CP+での役目が終わり、僕はこの国の端っこへ間も無く帰る。僕は、春になるとはじまる海鳥たちの繁殖を追う日々に移っていく。その傍ら、日本の中心やこの星の随所で起こる事象を見つめるとしよう。