映像撮影は、一瞬を切り取る写真とまったく勝手が違う。映像は、ピントを合わせたまま被写体を追い続ける必要があり、ズームアップにしたりもする。操作を教わる人もなく、何度も撮影現場に通って失敗を繰り返しながら勉強するしか方法がなかった。自らボートを操船し、機材運搬や積み下ろしをし、撮影、撮った映像のチェックなど、すべてを一人で流れるようにこなす方法を常に意識し、追い求めた。こうした「訓練」の日々が1年、そして2年と続いた。
そこへ思いがけず現れたのが、NHK札幌放送局に着任したばかりのディレクターだ。彼とは知り合いで、彼が旭川局に勤務していたとき私は取材を受けたことがあった。その後東京勤務などを経て北海道へ戻ってきたのである。自然番組に精通する彼は、私が撮った映像に目をとめてくれた。大海原のブリの大群に群がるウミネコのスクープなど、私の映像がニュースの特集などとして流れるようになった。とはいえ「訓練」で撮影した私の映像は、使えないものばかりだったに違いない。HDDに入れて定期的に私が送った膨大ななかから、使える映像を抜いていく宝探しは根気のいる作業だったと思う。
こうしてついに時が来たのである。知られざるケイマフリの生態を織り交ぜて「ダーウィンが来た!」、さらには1時間番組の「ワイルドライフ」をつくろうという話が持ち上がったのだ。天売島の自然が、世界へ向けて発信される可能性を秘めた、待ちに待った展開である。撮影する私の士気も大いに上がった。
ところが壁は鉄の如きであり、高くて硬いものだった。経験豊富な映像プロダクションが、凌ぎを削って企画・制作する番組であり、企画はあっけなく跳ね返された。ディレクターは首をかしげ、万策尽きた感が漂った。しかし、私には諦められない理由があった。これまで撮り貯めた映像の膨大さは、机にずらりと並んだハードディスクの数が物語る。その活用の場が消えた瞬間、その箱は価値のない邪魔な異物と化すのだ。何としても「作品」にしなければならない。